石見銀山10個の秘密!?(大森の町並み)

2017年7月12日 / 観光地

【石見銀山10個の秘密!?(大森の町並み)】

 

 

世界遺産・石見銀山の魅力を知るのにおすすめしたいのが「石見銀山観光ワンコインガイド」!
今回は、大森の町並みコースを利用して魅力を教えていただきました~!
“石見銀山の風景には全て意味がある”
知れば納得、興味が深まる「石見銀山ワンコインガイド」で見えない歴史が見えてくるかも!?

 

 

【大森の町並みについて】

 

 

 

まずは、集合場所になっている「代官所前広場」で世界遺産・石見銀山の構成エリアなどの説明を教えてもらいます。
世界遺産・石見銀山は、銀の採掘から精錬が行われた「銀山地区」、石見銀山料(天領)の政治と経済の中心地だった「大森地区」、銀の輸出や物資を運ぶのに欠かせない「石見銀山街道」と「鞆ヶ浦」「沖泊」の2つの港、それらを護っていた「城跡」から成り立っているとのこと。
フランスの旅行ガイドブック「Guides Bleus Japon」(ブルーガイド ジャポン)から★★★評価を受けている「石見銀山」大森の町並みをガイドさんと一緒にいざ出発!

 

 

大森の町並み散策をするうえでのキーワードは
1800年(寛政12年)に大森の町並みは大火に遭い、当時町並みの4分の3が焼失したこと。
大火の後に再建された建物がほとんどですが、町並みに残る火事への備えなどを聞きながら案内してもらうと、当時の様子がイメージできるかも。

 

 

また、大森の町並みは近世以降に作られた町並みで武家と商家が混在しているのが特徴です。
計画的に作られた部分もあるようですが、既にあった町並みの間に武家や商家が建てられたことで、現在のような町並みになったと考えられています。
この2点を予備知識として、いざ、大森の町並みへ!

 

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城上神社(きがみじんじゃ)

 

 

島根県指定有形文化財(建造物)になっており、拝殿の鏡天井にある極彩色の「鳴き龍」は、絵の真下に描かれている丸の中に座って手をたたくと、まるで龍が鳴いているかのように、リンリンと澄んだ音が鳴り響きます。

 

 

「鳴き龍」の周りは格天井になっており、神社の建築に寄付をしたお家の家紋が描かれているとのこと。

 

 

かつては茅葺きの社殿だったようですが、1800年の大火で焼失。その12年後に社殿が再建される際には、火災を防ぐために建物は瓦葺きか板葺きが増えたため、現在のような社殿になっています。
屋根が2つ重なる重層式拝殿の造りが特徴です。

 

 

<石見銀山ミステリー?!その1>

 

城上神社の裏手にある小さな祠…扉の穴がハートの形になっていてかわいい!と思ったのですが…ガイドの方から「あれはイノシシの目なんですよ。」と言われました。じっと見つめているとイノシシに見えてくるかも?!また、祠のハートの形や社殿にあるシャチホコには“火災予防”の意味合いもあるんだとか。

 


 

石見銀山資料館<大森代官所跡>
(いわみぎんざんしりょうかん<おおもりだいかんしょあと>)

 

 

石見銀山料(天領)の支配を担った代官所の跡地。資料館は明治35年に建てられた旧邇摩郡役所の建物を利用したもので、銀山に伝来する文化財や美術品、各地鉱山の鉱物標本などが展示されており、石見銀山の歴史を追体験できます。

 

 

表門との門長屋は、1815年に建築された江戸時代のもの。全国的にも代官所の門が現存している例はほとんどありません。

 

 

<石見銀山ミステリー?!その2>

 

資料館が開館してから作られた枯山水の庭には、「代官の抜け穴」と書かれた抜け穴が2つあるんだとか!当時、百姓一揆などが起こった時の代官の逃げ道として、1つは隣の城上神社、もう1つは裏手の勝源寺に通じていると伝えられてます。しかし、今は入れないため真実は穴のみぞ知る…

 

 

<石見銀山ミステリー?!その3>

 

1800年の大火を境に、大森の町並みは瓦葺き・板葺きの建物に変わっていったようです。石見銀山料(天領)の支配を担っていた代官所はとても重要な場所。火災で火が移らないようにと、代官所から城上神社に向かう道の間には「火除け地」が今でも残っています。

 


 

熊谷家住宅(くまがいけじゅうたく)

 

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大森の鉱山経営、金融業、酒造業のほか代官所の御用商人などを務め、石見銀山で最も有力な商家だった熊谷家。総漆喰の建物で部屋の数は30もあり、国の重要文化財に指定されています。
1800年の大火で焼失しましたが、翌年に再建したことからも有力商家の勢いを感じることができます。

 

 

5年かけて幕末から明治初年の姿に復元された住宅内は、季節に合わせて座敷の建具や敷物、床飾りを替えるという日本住宅の特徴「しつらい」を整え、来館者に和風住宅の美しさを感じさせてくれます。

 

 

広い台所には大小10基のかまどがあり、毎月第2日曜日を「かまどの日」として、かまどに火を入れお団子などをいただくことができます。(有料)

 

 

<石見銀山ミステリー?!その4>

 

30ある熊谷家住宅内の部屋の1つに中央がガラス貼りになっているところが!!
なんと、火災に備えて作られた地下蔵だそうで広さは4畳ほど。それだけ大事な物などを扱う場所だったのですね!

 

 

<石見銀山ミステリー?!その5>

 

熊谷家の隣にある細い通路。一見何もない普通の小道ですが…かつてはこの道から銀が運ばれたり人々の往来があったんだとか。もしかしたら銀が落ちているかも!?

 


 

④西性寺(さいしょうじ)

 

 

大森町最大規模の寺院で、1845年に再建された本堂の軒の下には木彫りの動物たちの顔が並んでいます。

 

 

本堂の隣には経典を納める経蔵があり、屋根の下には左官の神様と呼ばれた松浦栄吉の見事な鳳凰の「鏝絵(こてえ)」があります。

 

 

「鏝絵(こてえ)」とは左官が土蔵塗りの技術を用いて漆喰で造る浮き彫り(レリーフ)のこと。
西性寺の経蔵の作品は県下随一と言われています。

 

 

<石見銀山ミステリー?!その6>

 

経蔵の入り口の上に目をやると…なんと、巻物が彫られていました!!彩色もされていて綺麗ですし、なんと言っても茶目っ気溢れる感じについつい写真を撮ってしまいました。ぜひ、鏝絵と併せてご覧くださいね。

 


 

⑤観世音寺(かんぜおんじ)

 

 

岩盤の上に建立され、大森の町を見渡すことができます。こちらも1800年の大火で類焼した後に再建されました。今は本堂、山門、鐘楼が残されているのみです。

 

 

観世音寺に上らないと見ることが出来ないこの景色!赤い石州瓦の町並みが眼下に広がり、心も晴れやかになりますよ♪

 

 

<石見銀山ミステリー?!その7>

 

観世音寺が建つ岩盤は、町並みの通り沿いに穴が掘られており、かわいらしいお地蔵様が♪
お地蔵様を見かけたら、ぜひ石段を上ってみてくださいね。

 


 

⑥大森町並み交流センター(旧大森裁判所跡)

 

 

大森に住む住民が建築資材や土地を提供して建てたと言われ、明治23年(1890年)から昭和20年初めまで使われていた裁判所です。現在は、石見神楽の上演も行われる町並み交流センターとして活用されています。

 

 

館内には昔の法廷の様子が再現され、銀山や大森の町の歴史を短時間で見られるビデオコーナーなどがあります。

 

 

<石見銀山ミステリー?!その8>

 

国指定の文化財(史跡)である大森町並み交流センター(旧大森裁判所跡)。こちらは明治期の司法制度によって建てられた場所ですが、江戸時代は大森代官所(②の石見銀山資料館)で簡易な裁判は行っていたようです。しかし、多くの裁判事は江戸にわざわざ行かないとできなかったようです…
大森に裁判所が出来てからは、当時の人々は「今までは江戸までわざわざ出向いていた。」と
言っていたかもしれませんね。

 


 

旧河島家(きゅうかわしまけ)

 

 

1800年初頭に建築され、代々大森で銀山領内の支配にあたっていた代官所地役人(代官所に勤めた地元に住む武士)河島家の遺宅です。

 

 

武士の住まいは門塀、中庭、式台付の玄関とその脇に大戸口と呼ばれる出入り口があるのが特徴で、旧河島家は上級武士の構えと銀山附役人の屋敷の特徴をよく表していることから、大田市指定文化財になっています。
主屋は平屋建てのように見えますが、土間と納戸の上に二階が設けられ、接客用の座敷は庭に面しています。

 

 

<石見銀山ミステリー?!その9>

 

旧河島家の二階部分。上ると器などが丁寧に仕舞われていました。階段は急なので気をつけてくださいね。外から見ると平屋建てのように見える理由ですが、役人が通りを歩くのに上から見下ろす造りでは失礼だ。ということだとか!?

 

 

<石見銀山ミステリー?!その10>

 

石見銀山に住む役人は、武士としてのお給料以外にも田んぼを持っていたり貸金業をしていたようで副収入があったそうです。そのため、城下町にいる普通の武士たちよりも暮らしが豊かだったとか。

 

 


 

⑧重要伝統的建造物群保存地区の大森の町並み

 

 

文化庁が選定している重要伝統的建造物群保存地区で3番目の広さの大森の町並み(H29.2月現在)。
江戸時代の雰囲気が残る町並みは、建物を見て歩くだけでもワクワクしますよ♪

 

 

⑦の旧河島家では武家屋敷の特徴が見られますが、商家の特徴は写真のように店だながあること。江戸時代は板張りの店だな(写真左)が主流だったそうですが、民家となっている今は、上半分が障子張り(写真右)になっているところもありますよ。
特に違いがはっきりするのは、旧河島家のような間取り、規模、屋敷割の大きい上層の武家住宅と熊谷家住宅のような御用達、郷宿職を務めた重立層の町屋。
武家住宅の場合は街道から奥まった場所に主屋を設け道に面して塀をたて、庭を設けているのに対し、町屋は、街道に面して土蔵、塀、主屋が並行しています。
ぜひ、チェックしてみてくださいね。

 

 

また、イチョウの葉などがくり抜いてある家や、網戸をしまうために扉を回転させる造りなど昔の建築の工夫をみることもできます。

 

 


 

【その他、おすすめしたい大森の町並みスポット】
理容館アラタ・和田珍味石見銀山店(りようかんあらた・わだちんみいわみぎんざんてん)

 

 

アールヌーボー調の理容椅子や手動式バリカンなど、実際に利用されていた理容道具が展示されており、ノスタルジックな空間が広がるお店は、大正末期の文化を残す重要な「全国理容遺産認定」第一号として認定されています。なかでも目を惹く理容椅子は、座って写真撮影もOK♪
現在は、石見名産「ふぐの味醂干」などを販売している「和田珍味」が、石見銀山店としてお土産物販売や休憩所として多くの観光客の皆様に利用してもらえる場所にしています。

 


 

五百羅漢<羅漢寺>(ごひゃくらかん<らかんじ>)

 

 

18世紀中頃、命がけの仕事でもあった銀山の採鉱。亡くなった人々の霊と先祖の霊を供養するために、代官や代官所役人、領内の人々の援助、協力を受けて温泉津町福光の石工が25年の歳月をかけて彫像したものです。
当時の人々は、ここにお参りすれば亡くなった父母や近親者に会えるという噂が広まり、多くの人々が集まったそうです。

 

 

左右の石窟の中に250体ずつ安置されている五百羅漢像(※)は石工技術の粋を集めた綿密な造りとなっており、さまざまな姿勢や表情が観られます。
(※)五百羅漢とは、お釈迦様に従っていた500人の弟子のことで、世間一般の感情や欲望は超越しているが仏、菩薩の境地には未だ到達せず我々人間と仏との間の存在といわれています。

 

今回利用した、石見銀山観光ワンコインガイド「大森の町並みコース」のほか、
石見銀山の魅力を知り尽くしておられる「石見銀山ガイドの会」の皆さま。
一緒に歩きながら、あたらしい発見や面白いお話をしてくださり、あっという間に時間がすぎてしまいました!
今回の記事では紹介しきれなかったお話もたくさんあります!!
ぜひ、石見銀山の観光の際にはご利用くださいね♪
※ガイド時の有料施設への入館は、参加者の皆さんが入りたいと言われた場合になります。
気になる施設があった場合はガイド終了後などにご利用ください。

 

 

<石見銀山観光ワンコインガイド>

大森の町並みコース

龍源寺間歩コース

お問い合わせ先:石見銀山ガイドの会(TEL:0854-89-0120)

 

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